【証し】生きる目的
証し者 宮城龍成
私が初めて教会へ行ったのは中学2年生の頃、同級生の松田彩花さんに「教会でたこ焼きパーティーがあるけど来る?」と誘われたのがきっかけでした。僕は、それまで理屈で説明できないものは全て否定する根っからの無神論で「神様なんて!」という非科学的な存在を全く信じていませんでした。正直最初に教会へ行った時、なんと全然クリスチャンになるつもりは微塵もありませんでしたし、聖書の話も全然聞くつもりなんてありませんでした。
しかし、初めて教会へ行った時に、宮平満先生にお祈りしてもらった時に、自分の誰にも打ち明けたことのない悩みを言い当てられてとても不思議な気持ちになりました。その後、英語に興味があった僕は、満先生が語学に堪能であり、英会話を教えてくれるという事で週に1回程度ですが教会へ足を運ぶようになりました。その中で、英会話を一時間ほどやったあとにバイブルスタディの時間が設けられました。僕は、最初の頃は全然興味を示していませんでしたが、聖書を通して何度も満先生は「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」というイザヤ書43章にある御言葉を読んでくれました。この御言葉を聞くまで僕は、自分は父と母が交わったばかりに出来た副産物であり、愛なんて正直感じた事は全然ありませんでした。偶然にできた存在である自分は、生きる意味や価値を全く知らず、正直、目的なども見出せず、生きているだけの存在になっていました。しかし、聖書では私達一人一人は神様が造られた作品であり、一人一人に神様が計画を持っていると書いてありました。中学のあの当時それを読んだ僕は、正直あまり気にも止めていませんでした。今思えば、それがあまりにも信じられないほど突飛な事で、そんなはずが無いと考えていたのだと思います。クリスチャンになる前の僕は前述したように偶然の産物であるなら、「いつ死んでもいいし、この世にいる意味なんてない」と本気で考えていました。しかし、今はその愛を理解し、生きる意味を見出だせなかった僕は、神様に栄光を返すために生きるという生きる目的を持つことが出来ました。
僕自身、自分がクリスチャンになるなんて全く思っていませんでしたし、高校3年生になるまではなるつもりなんてありませんでした。しかし、バイブルスタディを通じて聖書の御言葉を学び、満先生や節子先生、ネイスン先生と接していくうちに、「愛」というものを少しずつ知ることができました。また、聖書に書いてあることがあまりにも自分の心境や状況に当てはまりすぎていたり、教訓として書かれていることがとても理にかなっていたりと、僕はこの書物は絶対に人間が書くことは不可能だ、という風に思い始め、それから神様の存在を少しずつ認めていくようになりました。最後に、バプテスマを受けた今、神様と共に歩む人生はとても豊かで楽しいです!これからも主の栄光を証する存在として成長して行けるように頑張ります!